被災地訪問のきっかけと目的
2011年3月11日14時46分、東北地方から関東にかけてこれまで経験したことがない大きな地震が襲いました。あれから11年経とうとしています。
震災の翌年、生活クラブ生協の呼びかけにより、神奈川W.Co連合会は「東日本大震災・復興支援ネットワーク(支援ネット神奈川)」に参加し、活動をすすめてきました。その1つである「東日本大震災復興支援まつり」では多くのW.Coの協力によりたくさんのブースを出展して、多くのカンパ金を届けてきました。
*「東日本大震災・復興支援ネットワーク」幹事会団体…生活クラブ生協神奈川・神奈川W.Co連合会・WE21ジャパン・いきいき福祉会・神奈川ネットワーク運動・地球の木・参加型システム研究所
「復興支援まつり」は、『被災地を忘れない、被災地とつながる』をテーマに続けてきましたが、震災から数年たち、「支援ネット神奈川」では、神奈川の地で学習をしたり、まつりをするだけでいいのか?被災地が必要としている支援が変わってきているのではないか?という思いが強くなりました。そこで2018年から、被災地の現状を知り、今後の支援を考えるために、神奈川での学習会と交互に隔年で「被災地訪問」を行うことを決めました。
2回目である「被災地訪問」は、本来2020年に実施する予定でしたが、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で中止。今年も感染を拡大させないように、福島コース・宮城コースそれぞれ上限10名とし、出発前には各自PCR検査をして参加しました。
行程
1日目:2021年12月3日(金)
JR東京駅→JR仙台駅→JR石巻駅→女川魚市場食堂(昼食)→女川駅周辺自由行動【シーパルピア女川、東日本大震災遺構(旧女川交番)、女川中学校、女川町地域医療センター(旧女川町立病院)】→スーパーおんまえや(2020年3月にほぼ同じ場所で営業再開)→うみねこ・ゆめハウス(いちじく・とうがらし畑の見学)→共生地域創造財団石巻事務所(石巻シェルター運用報告)→ホテル到着
石巻は「サイボーグ009」で有名な石ノ森正太郎の故郷
きれいに立て替わった魚市場内の食堂で、めったに食べられないお刺身も出していただきました!
川には14mとも17mとも言われる津波が押し寄せました。7mもかさ上げされ、その上に新たな街並みが整備された
その中に旧女川交番だけが津波で倒された姿で残されていました。かさ上げされたので、まるで地下に建っていたかのようです。
建物が土台から引きはがされ、津波の恐ろしさを生々しく伝えています
現在の避難場所です。 海抜30m
標高14mに建つ病院の1階天井付近まで津波が到達。この駐車場に住民は避難して海を見ていたが、そこまで津波は到達した。
元保育士の八木純子さんは、お母さんたち、お父さんたち、若者、それぞれが自律(自立)して生活できるように、人を見て、考えて、考えて、行動しています。
2日目:2021年12月4日(土)
ホテル→大川小学校訪問・大川震災伝承館見学→高橋徳治商店訪問(昼食)→JR矢本駅→JR仙台駅→JR東京駅・解散
子供たちの声が聞こえてきそうなモダンな校舎。小学校からは海は見えません。学校の裏には緩やかな山。地震から51分。なぜ津波の被害にあったのか。
津波のハザードマップでは津波は来ない想定。地域の避難場所に指定もされていた。でも、海のすぐそばを流れる北上川からも水が押し寄せ児童74名、教職員10名が犠牲になるという学校管理下で最大の事故になりました。
日頃の準備と念のため逃げるという選択。それを大人ができるかどうか。教訓というには大きな犠牲です。
生活クラブ生協の組合員はいつもお世話になっている「おとうふ揚げ」の生産者。工場からの泥の撤去含め多くの生協が震災直後から再建に向けて支援しました。 工場見学をさせていただきました。
高橋社長は、震災後心に傷を負い未就労の若者が1000人いることに衝撃を受け、野菜加工場を新設。当初社内からは異論がありましたが、若者たちが変わっていくのを目の当たりにして、社長の思いを理解し、協力するようになったそうです。
「暗いことばかり言っていると言われるので、最近は『被災地は課題解決先進地』というようにしている」という高橋社長の言葉が印象的でした。課題解決のために一歩一歩進んでおられます。
被災地訪問を終えて
改めて日頃から備えて置くこと。そして、W.Coの基本でもある自分で考えて自分で行動することの大切さ伝えなければと思いました。
現在の被災地の課題の多くは、日本のどこでも課題となっていることだと感じました。被災地の方々が自律(自立)して生きていけるように、支援や具体的な連携を続けていくとともに、お互いの知恵や実践を交換して、共に発展していきたいと思います。(井上 浩子)